【挑戦!お江戸クイズ】ペリーも驚愕した力士の怪力の秘訣とは?外国人と交流のあった日本人に関するクイズ4問

東京オリンピックの開催も控え、外国人観光客が増加傾向にある日本。今や外国人が街を歩く光景は普通ですが、鎖国状態にあった江戸時代で外国人は非常に珍しかったといいます。

しかしながら、外国人との交流は皆無ではありませんでした。今回は江戸時代に外国人との交流があった日本人に関するクイズを4問、「江戸文化歴史検定」(通称・江戸検)の過去問題からピックアップしてみました。ぜひ挑戦してみてください。

【クイズ1】
寛政5年(1793)、漂流民大黒屋光太夫らは、江戸城吹上で将軍徳川家斉に拝謁しました。このとき、ロシアで知られている日本人として、光太夫が中川淳庵とともにあげた人物とは、誰でしょう?

(い)桂川甫周
(ろ)塙保己一
(は)徳川家斉
(に)林子平

【クイズ2】
18世紀以降、日本と通商を求める列強は、漂流民の送還を幕府との交渉のきっかけにしようとしました。では、文化元年(1804)、長崎に来航したロシア使節レザノフ一行に伴われて、11年ぶりに帰国した漂流民は、誰でしょう?

(い)ジョン万次郎
(ろ)尾張国の漁師、音吉
(は)仙台の水夫、津太夫
(に)ジョセフ・ヒコ

【クイズ3】
上総出身の巨漢力士小柳常吉は、嘉永7年(1854)、ペリーが再来航した折、米俵4俵(約240kg)をひとりで持ち上げ軽々と運び、アメリカ人の度肝を抜いたといいます。そのとき怪力の理由を問われた小柳は、何と答えたでしょう?

(い)子どものころから相撲に興じていたから
(ろ)上等の米を食べ、良い酒を飲んでいるから
(は)母親が丈夫に生んでくれたから
(に)欧米人に負けないように鍛錬しているから

【クイズ4】
18世紀以降、日本との通商を求める列強は、漂流民の送還を口実に幕府と交渉しようとしました。では、天保3年(1832)に遭難し、天保8年にアメリカの商船モリソン号で日本に送還されながら追い返された漂流民は、次のうち誰でしょう? その後、彼は上海、シンガポールで暮らしました。

(い)奥州・若宮丸の津太夫
(ろ)尾張・督乗丸の重吉
(は)尾張・宝順丸の音吉
(に)摂津・歓喜丸の久蔵

以上、4問です。いかがでしょうか?

解答は次のページで発表します!