《スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」》 1912年 プラハ市立美術館 (C)rague City Gallery

取材・文/藤田麻希

アルフォンス・ミュシャの作品といえば、女性を装飾的な模様と共に描いたポスターが頭に浮かびます。喫茶店やレストラン等で一度は目にしたことがある方も多いでしょう。ですが、ミュシャが複製芸術ではなく、巨大な絵画を描いていたことはあまり知られていないかもしれません。

1860年、現在のチェコ南東部モラヴィア地方の村で生まれたミュシャは、画家への道を歩みましたが、なかなか芽が出ませんでした。転機は34歳の時に訪れます。パリの印刷所で働いていた時、偶然、女優サラ・ベルナールから芝居のポスターを依頼されたのです。輪郭線を強調した平面的で装飾的なスタイルは珍しく、一躍時代の寵児となります。

《ヒヤシンス姫》 1911年 堺市

パリで人気の絶頂を迎えていた1900年、第5回パリ万国博覧会のボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾とオーストリア=ハンガリー帝国のためのポスター等の制作を任されます。

ポスターや装飾芸術の分野で活躍しながらも、常にミュシャの根底にあったのは、故郷、及び自らの出自であるスラヴ民族への愛情でした。オーストリア=ハンガリー帝国の支配下からチェコの自治を回復させたい、キリスト教やトルコ人勢力などに攻められてきたスラヴ民族を団結させたいとの願いを強く持っていました。

万博の仕事で、あらためてスラヴ民族の歴史と文化を見直したミュシャは、チェコとスラヴの歴史を周知させるための壮大な作品を構想します。

このような経緯で誕生したのが大作《スラヴ叙事詩》です。スラヴ民族の歴史に基づく10点と、チェコ人の歴史に基づく10点からなる計20点の連作で、1910年にチェコに戻ったミュシャが、プラハ近くのズビロフ城をアトリエにして、約16年の歳月を費やして制作しました。約4メートルから6メートルの巨大なカンヴァス全20枚分を、一人で描いたというから驚きです。

《スラヴ叙事詩「スラヴ式典礼の導入」》 1912年 プラハ市立美術館 (C)Prague City Gallery

《スラヴ叙事詩》を制作するアルフォンス・ミュシャ、ズビロフ城アトリエにて、1923年

この《スラヴ叙事詩》全20点が日本で見られる展覧会が、東京・六本木の国立新美術館で開かれています(~2017年6月5日)。本展監修者で美術評論家のヴラスタ・チハーコヴァーさんは《スラヴ叙事詩》の特徴を次のように説明します。

「ミュシャは人種を越えた博愛や平和を重んじる、フリーメイソンの思想を持っていたので、戦争の場面はあまり描きたくありませんでした。特に流血シーンや人が武器を持って戦っているシーンは避けました。ですので、戦争に関する場面は『○○の戦いの後』というタイトルで、武器をおろした後を描いています。

『グルンヴァルトの戦いの後』の中央に描かれるのは勝利者の王ですが、非常に複雑な表情をしています。“なぜこんな戦争が行わなければならないのか。なぜこれだけの人が死ななければならないのか”と考えているかのようです」

《スラヴ叙事詩「グルンヴァルトの戦いの後」》 1924年 プラハ市立美術館 (C)Prague City Gallery

戦争を描くとなれば、画家は凄惨な戦闘場面で力を発揮したくなりそうですが、ミュシャは自らの思想によって、それはしませんでした。ここに独自性が発揮されています。

ミュシャがチェコ、スラヴ民族のアピールのために描いた《スラヴ叙事詩》ですが、その思いとは裏腹に、長らく人目に触れることすらありませんでした。ミュシャ存命中に全20点が披露されることはなく、最も多い展示も19点でした。しかも、当時の美術界の潮流はキュビスムやフォービスム、表現主義等へ移行していましたから、時代遅れと捉えられてしまいました。

生前、専用の施設での常設展示を条件にプラハ市に寄贈されましたが、戦争や経済的な問題で展示は実現せず、寄贈から40年近くたった、1968年からチェコの田舎の城で、夏の間だけひっそりと公開されるようになりました。

2012年にプラハ市に移されましたが、今後安定的に公開できるかは定まっていないそうです。まさに流浪の作品なのです。

スラヴ民族もチェコも、日本人にとっては遠い存在かもしれませんが、幅8メートル、高さ6メートルの巨大な画面には圧倒されること間違いなしです。プラハに行っても、本展のような明るく広々とした空間で見られるとは限りません。ぜひこの機会に六本木でご覧下さい。

【国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業 ミュシャ展】
■会期/2017年3月8日(水)~6月5日(月)
■会場/国立新美術館
■住所/東京都港区六本木7-22-2
■電話番号/03・5777・8600(ハローダイヤル)
■料金/一般1600(1400)円 大学生1200(1000)円 高校生800(600)円
*( )内は20名以上の団体料金。
*中学生以下無料
*障がい者とその付き添いの方1名は無料(入場の際に障がい者手帳などをご提示ください)
■開館時間/10:00 ~ 18:00
※毎週金曜日、4月29日(土)-5月7日(日)は午後8時まで
※入場は閉館の30分前まで
■休館日/毎週火曜日  ※5月2日(火)は開館
■アクセス/
東京メトロ千代田線 乃木坂駅 青山霊園方面改札6出口(美術館直結)
都営地下鉄大江戸線 六本木駅 7出口から徒歩約4分
東京メトロ日比谷線 六本木駅 4a出口から徒歩約5分
■展覧会公式サイト/http://www.mucha2017.jp/

取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』などへの寄稿ほか、『日本美術全集』『超絶技巧!明治工芸の粋』『村上隆のスーパーフラット・コレクション』など展覧会図録や書籍の編集・執筆も担当。

 

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