「自分は周囲が言っているほどの奇人ではない」(南方熊楠)【漱石と明治人のことば69】

sousekiKotobaBanner2

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「小生は決して左様(さよう)不思議な人間に無之候(これなくそうろう)」
--南方熊楠

博物学者の南方熊楠は、かつて大学予備門で夏目漱石、正岡子規らと机を並べていた。だが、学校での勉強に興味が持てず、落第を機に中退しアメリカ、イギリスに渡って独学。自然科学誌『ネイチャー』などに数百の論文を発表した。

驚くべき博覧強記。一説には22もの語学に通じていたともいわれる。粘菌や民俗学の研究にも大きな成果を上げる一方で、子どものように自制のきかぬ好悪を内在させ、数多の奇人的逸話で身辺を彩っていた。

掲出のことばは、そんな南方が57歳の折、矢吹義夫あてに書いた書簡の中の一節(大正14年1月31日付)。矢吹は日本郵船大阪支店の副長。南方はこの頃、自身の植物研究所の創立準備のため基金募集を進めており、矢吹はそれに協力するため南方に自己の略歴を連絡してくれるよう求めた。

これに対し、南方は、全長25尺(約8メートル)に及ぶ巻紙に極細の文字で返書をしたためた。この書簡が『履歴書』と呼び習わされる所以だが、その冒頭に「自分は周囲が言っているほどの奇人ではない」と言い募っているのが、可笑しい。

この「履歴書」の記述は、自身の学問の実用性やそれが国益にも資することを強く訴えながら、なぜか、江戸期の僧・鉄眼の「蛟竜雲を得た勢いで脈を打たせはね上がる」股間の一物と自身のものとの対比へと脱線し、こんな一文も読める。

「(小生の)一物も鉄眼以上の立派な物なりしが、只今は毎日失踪届けを出さねばならぬほど、あってなきに等しきものになりおわり候」

やはり、南方熊楠、かなりの変わり者なのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

himekurisoseki-3