入院中の夏目漱石、病室で年越しの感慨にふける。【日めくり漱石/12月30日】

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今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)12月30日、漱石は東京・内幸町の長与胃腸病院の特別個室にいた。

長い入院生活の中、体は漸次、回復してきている。ベッドから置き直って机に向かって原稿や手紙を書いたり、付き添いの看護婦が運んでくる膳の食事を食べたりする日常に、いつかすっかり馴れきってしまい、まるで自分の家にいるような感覚にまでなろうとしていた。

だが、暮れも押しつまり、世間に松飾りの影がちらつきだすと、さすがに、

「生まれて初めて、病院で年越しをして正月を迎えるんだな」

との思いが頭に浮かんだ。胸に迫る感慨というほどのものではない。ただ、これは異様なことだ、珍しい体験なのだと、いまさらのように気づいたのだった。

いよいよ晦日となって、漱石は、せめて病室の入口に松飾りでもするか、と考えた。室内には、いま、水仙やポインセチア、薔薇などの花が飾られていた。そこに多少なりと正月らしい装いを加えようというのだった。

漱石は、付き添い看護婦の町井石子に、松飾りのための小さな松を2本買ってきてもらうよう、声をかけた。言いながら、しかし、松を立てるためには、柱に支えの釘を打たねばならないことに気がついた。そうすると、綺麗な柱に傷をつけることになる。それでは病院に申し訳ない。

「やっぱり、松はやめにしよう。柱に傷をつけるのは悪い」

漱石の言葉に、看護婦が助け船を出した。

「それじゃあ、表へ出て梅でも買ってまいりましょうか」

数日前、鈴木三重吉宛ての手紙に、「切り花は飾っても寒梅をかぐだけの風流もない」と綴った漱石にとって、これ以上もない代案であった。

やがて、看護婦は紅白二枝の梅を携えて帰ってきた。白い方は、森円月がくれた吉田蔵沢の竹の絵の前に挿し、紅い方は太い竹筒の中に投げ込んで、袋戸の上に置く。梅の芳香がほのかに立ちのぼり、すでにあった水仙の匂いまでを引き立てる気がした。

もうまもなく新しい年がやってこようとしていた。明くれば、数え45歳の新春である。

看護婦は、松を飾れなかった漱石に向かって、

「もうだいぶ病気がよくおなりですから、きっとお雑煮が祝えるに違いありませんよ」

と、慰めの言葉をかけた。

当たり前のように過ごしていても、1日1日に約束されたものなどない。尋常ということ、無常ということに、改めて目を向け直す漱石先生である。

■今日の漱石「心の言葉」
何の理屈も要らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである(『倫敦塔』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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