夏目漱石、腕の痛みをリューマチのせいではと思い込む。【日めくり漱石/12月25日】

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今から101 年前の今日、すなわち大正4年(1915)12月25日、48歳の漱石は原稿を書こうと机に凭(よ)って思案しながら、腕に痛みを感じていた。リューマチのせいではないかと思った。

このとき漱石は、年明けから朝日新聞紙上に載せる連載の原稿を依頼されていた。何かお目出度い雰囲気のものでも、と思ったりするのだが、腕の痛みもあってか、いい趣向が浮かばない。

「めでたさはともかくとして、漫筆のようなものでも綴っていくか」

漱石はそう思い直した。

タイトルは浮かんだ。点頭録。「点頭」とは、うなずくこと。肩肘はらずに、小さく頷くような調子で世の動きを眺めながら、筆をとっていこうというのだ。読者が首肯しつつ読み進めてくれる姿も、漱石の目の奥には映じていたかもしれない。

漱石は原稿用紙の上に書きつけていく。

《また正月が来た。振り返ると過去が丸で夢のように見える。何時の間に斯(こ)う年齢(とし)を取ったものか不思議な位である》

そんな感想めいた言葉で始めながら、やがて、漱石の胸の奥底に宿っている静かな覚悟があふれ出る。

《多病な身体が又一年生き延びるにつれて、自分の為すべき事はそれ丈(だけ)量に於て増すのみならず、質に於ても幾分か改良されないとも限らない。従って天が自分に又一年の寿命を借して呉れた事は、平常から時間の欠乏を感じている自分に取っては、何(ど)の位の幸福になるか分らない。自分は出来る丈の余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けている》

東西の朝日新聞の1月1日に第一稿を掲載した『点頭録』は、断続的に9回まで続いた。その筆は折からの欧州大戦にも及び、

《自分は独逸(ドイツ)によって今日迄鼓吹された軍国的精神が、其(その)敵国たる英仏に多大の影響を与えた事を優に認めると同時に、此(この)時代錯誤的精神が、自由と平和を愛する彼等に斯(か)く多大の影響を与えた事を悲しむものである》

と書いた。漱石は、軍国主義へ傾く欧州の趨勢を批判し悲しんでいるのだった。この漱石の心配と悲しみは、漱石没後、昭和に入ると、日本にも当てはまるものとなっていく。

なお、漱石がリューマチと思い込んでいた腕の痛みは、糖尿病に起因するものらしいという診断が、しばらくのちに下された。漱石先生、甘いものの食べ過ぎも影響していたのかもしれない。

■今日の漱石「心の言葉」
人の国を征服し自国の利益を拡張す。これを道徳の許す行為なりというはその利益を享くる国民よりいう語にして、利益をそがれたる国民よりいえば不道徳なり(『ノート』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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