年の瀬の夏目漱石、元日の新聞に掲載する随筆原稿を書く。【日めくり漱石/12月23日】

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今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)12月23日、漱石はひとりぽつんと机の前に座っていた。東京朝日新聞から依頼されたエッセイを書くためであった。掲載予定日は年明けの1月1日。

題名はそのものずばり、「元日」だった。

あと9日経てば確かに元日がやってくる。だが、いま原稿用紙に向かっている自分自身は、もちろん正月気分にひたっているわけではない。家ではまだ餅つきもしていないし、町内を見回しても松飾りを立てた家は1軒もないのである。

振り返ってみれは、ちょうど1年前の年の瀬にも、同じ題のエッセイを頼まれた。

そのとき漱石はやむなく、その前の元日の出来事を回想した。高浜虚子が年始にきて、漱石が謡をうたったことを原稿にした。漱石の謡に合わせて虚子が鼓を打ち出し、途端に漱石の謡が大崩れになったという失敗譚を、ユーモアを交え告白調で綴った。

今回また同じように、過去の元日の話を持ち出すのも芸がない。首を捻っているうちに、何だか自分ひとりが先走って浮かれている軽輩者のような気もしてくる。漱石はとうとう、今の気持ちをそのまま吐露してみることにした。

《元日を御目出たいと極(き)めたのは、一体何処(どこ)の誰か知らないが、世間がそれに雷同しているうちは新聞社が困る丈(だけ)である。雑録でも短篇でも小品でも乃至(ないし)は俳句漢詩和歌でも、苟(いやしく)も元日の紙上にあらわる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極(きま)っている。尤(もっと)も師走に想像を逞しくしてはならんと申し渡された次第ではないから、節季に正月らしい振(ふり)をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違ない》

皮肉とユーモアの効いた漱石先生らしい筆致である。漱石はさらに、こんなふうにも書いた。

《今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。(略)机の前に坐りながら何を書こうかと考えると、書く事の困難以外に何だか自分一人御先走ってる様な気がする。それにも拘(かかわ)らず、書いている事が何処となく屠蘇の香を帯びているのは、正月を迎える想像力が豊富なためではない。何でも接ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だからである》

年末進行などと追い立てらる現今の新聞・雑誌業界にも通じることだが、「因果な商売ですよ」という嘆き節にまで転じていきそうな漱石の調子。そのくせ、どこか楽しげでもある。「正月といえども、吉凶禍福共にこもごも起り得べき、平凡かつ乱雑なる一日に過ぎない」などと呟きつつ、綴る文章の行間にほのかな酔いを漂わせる漱石先生である。

■今日の漱石「心の言葉」
考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た(『心』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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