次男が生まれた夏目漱石、赤子の顔を見て意中の名前を撤回する。【日めくり漱石/12月17日】

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今から108 年前の今日、すなわち明治41年(1908)12月17日、漱石と鏡子の間に6番目の子供が誕生した。男の子だった。

千葉県の成田の中学校に赴任している門弟の鈴木三重吉からは、早々に祝電が届いた。詩人の服部嘉香は、夏目家の家政婦・お梅さんの兄の西村誠三郎と一緒に祝いを言いにやってきた。とはいえ、ふたりめの男児ということで、前年の長男誕生の時ほどに弾けた祝賀ムードはない。漱石自身も、5番目にして初めての男児となった純一の生まれたときは、興奮してもっとはしゃいでいた。

とはいいながら、漱石には、この子の誕生に当たって、つけたいと思っている名前があった。それは、元旦の「旦」の字を書いて、「あした」と読ませるという名前だった。

「旦」の字の由来は、地平線から登る太陽を象形的にあらわしたもの。夜明け、朝を意味することから、物事の始まりにも通ずる。「あした」という読みは、漢和辞典などに明記された正道を踏んでいる。

漢字の持つ含蓄もいいし、字面も音の響きもどこかモダン、かつシンプルで、とてもいい名前のように思える。漱石の他の子供の名前(筆子、恒子、栄子、愛子、純一、雛子)と比較しても、筆者には出色の名づけのように感じられる。

漱石自身も、この名前はかなり気に入っていて、

「今度生まれる子供が男の子なら、旦という名前にするつもりだ」

と、周囲にふれまわっていた。

ところが、実際に生まれた子の顔を見ると、漱石はどう気が変わったものか、まったく別の名前をつけた。

命名「伸六」。申年に生まれた六番目の子というのが命名の由来だった。

12月26日付の高浜虚子宛て書簡の追伸に、漱石はこう綴っている。

《子供の名を伸六とつけました。申の年に人間が生れたから伸で六番目だから六に候。此間(このあいだ)の旦は取消故併せて御吹聴に及候》

長じて随筆家となった伸六本人が、自著『父・夏目漱石』に記すところによれば、伸六は生まれた時から頭にいっぱい毛が生えていて、猿の申し子に近い相貌を呈していたのだという。

照れ屋の漱石先生、そんな赤ん坊の顔を見た途端、「旦」という名前はなんだかカッコよく決まり過ぎている気がして、撤回に及んだのかもしれない。

■今日の漱石「心の言葉」
普通の名の方がいい(談話『小説中の人名』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
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神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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