文/後藤雅洋

以前、アート・ペッパーの記事で「日本人好み」という話をしましたが、本来の意味でまさしく「日本人がその魅力を発見したジャズマン」こそがソニー・クラークなのです。

というのも、ペッパーはアメリカでも実力に見合った評価を得ていたわけですが、クラークの場合は、明らかにアメリカ・ジャズ・シーンの「偏向」がうかがえるからです。彼の日本での人気を決定的にしたアルバム『クール・ストラッティン』が、なんと発売当時アメリカのジャズ専門誌で酷評されているのですね。

ところがその『クール・ストラッティン』は、1960年代にジャズ喫茶でこのアルバムがかかると、お客が全員でテーマ・メロディを合唱したという伝説が語り継がれるほどの人気だったのです。

クラークの場合は日米の評価の落差が明らかにペッパーのケースより大きい。しかし、この日米の「食い違い」に着目することでピアニスト、ソニー・クラークの魅力が見えてくるのです。

ソニー・クラークの持ち味はなんといっても彼ならではの一種の「マイナー・ムード」でしょう。実際クラークの作曲した曲には「ブルー・マイナー」にしろ、「マイナー・ミーティング」にしろ「マイナー」というタイトルが付いた曲名が多いのです。

ところでジャズ・ピアニストの聴きどころですが、たとえばビル・エヴァンスは「ワルツ・フォー・デビイ」など、自作曲で自らの個性を発揮する一方、同じアルバムの1曲目「マイ・フーリッシュ・ハート」は、映画音楽で知られた作曲家ヴィクター・ヤングの作品です。しかしエヴァンスは、どちらの場合でも自らの長所を出しきっているのですね。同様のことはモダン・ジャズ・ピアノの開祖バド・パウエルについてもいえるでしょう。

他方、同じピアニストでも、セロニアス・モンクやハービー・ハンコックなどは、他人の書いたスタンダード曲も演奏しますが、どちらかというと自作のオリジナル曲で持ち味を発揮するケースが多い。さて、クラークはどちらのタイプなのでしょう。

日本での人気アルバム『クール・ストラッティン』ではどちらの曲目も演奏していますが、日本で人気の高かったのは、アナログ時代A面に収録されていたオリジナル曲なのですね。しかし、同じく日本でクラークの名を高からしめたブルーノートの名盤『ソニー・クラーク・トリオ』では、「ビ・バップ」にしろ「朝日のようにさわやかに」にしても、すべて他人が書いたスタンダード・ナンバーなのです。

これだけを見るとクラークもエヴァンスやパウエルと同じ「万能型」のようにも思えますが、微妙に違うところがあるのです。それは楽器編成による持ち味の違いです。

「マイナー・ミーティング」「ブルー・マイナー」などは、それぞれトランペットにサックスが入った2管クインテット。他方スタンダードばかりの『ソニー・クラーク・トリオ』は、文字どおりトリオのフォーマットなのです。

では、クラークの聴きどころはスタンダードはトリオ、オリジナルはホーン入りと単純に割り切れるかというと、そうでもないのです。オリジナル曲で固めたトリオ名盤『ソニー・クラーク・トリオ』というブルーノート盤と同じタイトルのアルバムがタイム・レコードにもあるからです。

話が込み入ってきたので、整理しましょう。

クラークはピアニストとしての魅力は自作曲ではもちろん、他人の書いたスタンダードでも発揮できる万能型ピアニストなのです。しかし、ホーン奏者を入れたフォーマットでは、やはり聴きどころはオリジナル作品なのですね。

スタンダードはどちらかというとホーン奏者にスポットが当たりがち。極論すると、クラークが他人のリーダー・アルバムにサイドマンとして参加した名演群と、明確な違いが見えにくいのです。しかしそのことは必ずしもマイナス要素とばかりはいえず、彼の名サイドマンとしての活躍にも繫がっているのです。

要するにクラークは、優れた作曲能力を梃子(てこ)として、ホーン奏者たちと一体となって「ソニー・クラークの世界」を描き出す一方、「いちピアニスト」としては、そのスタイルだけで「クラーク節」の魅力をアピールできる明確な個性の持ち主ということになるでしょう。

■早熟〝ジャズ〟ピアニスト

では、ここらで当初の「日米の評価の落差」に話題を戻しましょう。

『クール・ストラッティン』酷評の理由です。率直にいって日本人の私には、アメリカ人の感覚は完全には理解できません。しかし推測することはできるように思います。おそらく「マイナー感覚」に対する評価の違いなのではないでしょうか?

音楽でいう「マイナー」とは要するに「短調」のことで、英語で「メジャー」日本では「長調」と呼ばれる音階で作られた音楽に比べ、相対的に物悲しい気分が醸しだされます。この「哀愁感覚」が「日本人好み」の源泉のような気がするのです。「哀愁歌謡」なんていう言い方だってあるじゃないですか。

もちろんアメリカにだってマイナー・ムードの名曲はいくらでもあるでしょうが、おそらくはその「気分・雰囲気」の方向が、クラーク的マイナー感覚とは微妙に色合いが違うのでしょうね。

つまりアメリカでは文字どおり「マイナー=少数派」なクラーク流哀愁感覚は、日本人にとっては特別なものではなく、むしろ親しみやすいものだったというのが、私なりの「食い違い」の理解なのです。

さて、ここまでバンド・リーダーとしてのクラークの魅力の一端を紹介してきましたが、まだピアニストとしての顔が残っています。そしてこのピアノ弾きとしての魅力も、私は日本人こそが発見したといってもいいのではないかと思っているのです。しかし、その話題に入るには彼の経歴を辿る必要があるでしょう。

■ニューヨークで才能開花

ソニー・クラークは1931年(昭和6年)にアメリカ北東部、ニューヨークと五大湖の間に位置する、ペンシルヴァニア州の小さな炭鉱町に生まれました。小さなころからピアノを弾き始め、なんと6歳でラジオに出演し、そのころ流行りのブギウギ・ピアノを弾いたというのです。

小学校高学年から中学にかけての年齢でちゃんと先生に就いてピアノのレッスンも受けており、当時人気のジャズ・バンド、ピアニストたちの演奏を、レコードでたっぷりと吸収していたそうです。 列挙すれば、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの2大ビッグ・バンド、モダン期以前の大ピアニスト、アート・テイタムにファッツ・ウォーラーとくれば、これはまさに正統派のお勉強歴といえるでしょう。

くわえて、1940年代半ばに勃興したビ・バップ・ピアノの開祖バド・パウエルはもちろん、白人流ビ・バップといわれたレニー・トリスターノはじめ、セロニアス・モンクやオスカー・ピーターソンといったジャズ・ピアノ史に名を残す名ピアニストたちはすべてカヴァーしているのですから、まさにジャズ・ピアノ史のテストを受ければ合格間違いなしのラインナップですね。

じつをいうと、こうした経歴を知っていちばん意外だったのは私自身なのです。というのも、私たちの世代が知っている1957年以降のブルーノート時代のレコードで聴くクラークは、完全なパウエル派ピアニストなので、彼がこれほど幅広く多彩なジャズ・ピアニストたちを視野に収めていようとは思わなかったのです。

その秘密は1950年、彼が19歳のとき、母子家庭だった母の死をきっかけに兄と一緒に叔母の住んでいる西海岸のロサンゼルスに移住し、当時勃興しつつあったウエスト・コーストのジャズ・シーンに触れたことにあるようです。

すでにジャズ・ピアニストとしての基礎ができていたクラークは53年に初レコーディングを経験し、白人のクラリネット奏者バディ・デフランコのサイドマンとなり、何枚かのレコーディングに名を連ねているのです。そして西海岸時代の未発表音源なども含めて聴くと、この時期のクラークはブルーノート時代とはかなり異なったスタイルも見せているのですね。つまり「お勉強」の成果は間違いなく表れているのです。

これはジャズの中心地ニューヨークからの距離が作用し、彼の幅広い知識が自由に開花したといえるのではないでしょうか。そのクラークがニューヨークへと進出したのが57年で、たちまちブルーノート・レコードのオーナー・プロデューサー、アルフレッド・ライオンの眼に留まることとなり、以後彼の活躍が日本のファンの耳にも届くこととなったのです。

この間の事情で注目したいのはクラーク自身の重要な証言です。 「ウエストの連中はスイングの仕方が違うんだ。ジャズをクラシック音楽と結びつけたり、室内楽のように演奏したり……。僕の求めているものとは違う。だからイースト・コーストに戻ってきた」 ここで思い出していただきたいのですが、アメリカ東部で生まれ育ったクラークが西海岸に赴いたのは、母親の死という出来事がもとで、音楽的理由ではなかったというところです。

たまたまその時期、50年に始まった朝鮮戦争の軍需景気に沸く西海岸では、ハリウッドが映画音楽のためのミュージシャンを大量に必要としたところから、全米からジャズマンが西海岸に集まるという現象が起きていました。

〝ウエスト・コースト・ジャズ〟はそうした時代背景もあって興った新しいジャズ・スタイルでしたが、映画音楽の製作は楽譜の読める白人ミュージシャンの得意分野ということもあって、完全に白人主体のジャズ・スタイルだったのです。

もちろんサイドマンにはソニー・クラークらの有能な黒人ジャズマンたちが大勢参画していましたが、主流は「アレンジが主体の音楽」だったのです。クラークの証言は、まさにそのあたりの事情についての彼の感想なのですね。

要するにクラークの西海岸体験は幅広い「ジャズ的教養」を身につけるという意味では大いに役立ったとはいえ、クラーク自身の「血」の欲求とは微妙に齟齬(そご)をきたしていたのでしょうね。 ですから、57年以降のブルーノート時代のクラークのパウエル的スタイルは、じつは彼の「ホンネ」の部分だったのではないでしょうか。

というのも、すでに西海岸時代に書いていた哀愁に満ちた曲想とパウエル派的ピアノ・スタイルは、これ以上はないと思えるほどマッチングがいいのです。しかしこれは当たり前といえばいえば当たり前の話で、曲想込みでオリジナリティを発揮するタイプのピアニストであるハンコックにしてもモンクにしても、同様のことはいえるのですね。

結論すれば、「西海岸体験」という若干の回り道はあったにしろ、クラークは東海岸のブルーノート・レーベルという格好の居場所で、私たちがよく知っている彼本来の魅力を開花させたということなのです。

■重いタッチの重い音

ここまではクラークの魅力・聴きどころを「哀愁」「パウエル派」というふたつのキーワードで説明してきましたが、より具体的なピアノの奏法に寄り添って掘り下げてみましょう。

まず「パウエル派」というのはモダン・ピアノの開祖バド・パウエルが発明した、右手のメロディ・ラインを生かし、あたかもトランペットの旋律のような鮮烈な印象を聴き手に与えるスタイルのことです。しかしこのスタイルは他にもウィントン・ケリーやケニー・ドリューなど、1950年代以降のほとんどのハード・バップ・ピアニストに共通する奏法なので、これだけではクラークならではの特徴とはいえません。

クラークを他のパウエル派ピアニストと区別する最大の特徴はタッチの重さです。「音に重みがある」…不思議なことだと思います。冷静に考えれば、空気を伝わってくる音に重さなどあるはずがありません。でも、人間の耳はちゃんと「重い音」「軽い音」を聴き分けているのですね。

もちろんこれはどちらが良いという話ではなく、軽くて軽快なタッチの良さもあれば、重くて心にずっしりと響くタッチの良さもあるということなのです。同じパウエル派でも、ケリーは軽快感が華麗さに繫がり、同じくドリューは軽やかなタッチが流麗さに繫がるという長所となっていますね。クラークのピアノは、それこそパウエルやモンクのタッチを思わすほどの「重み」が、彼ならではの長所となっているのです。

そしてその「重み」をより際立たせ特徴的なものとしているのが、ちょっとわかりづらい、ジャズならではの聴きどころなのですが、「ひっかかり」なのです。

ふつうピアノはひっかからないでスムースに弾けたほうがいいに決まっています。クラシックではひっかかったりしたらそれだけでバツですよね。しかしジャズの楽器奏法は「それが魅力的であれば」なんでもアリなのです。

その典型はモンクの「蹴つまずいたようなタッチ」でしょう。ちなみに「重いタッチ」のもう一方の横綱、パウエルのタッチにも、じつは微細なひっかかりがあり、それが独自の迫力の源泉なのです。

クラークの演奏を注意深く聴いてみると、必ずしも「流麗」とは言いがたく、微細な「ひっかかりの感覚」があるのです。これは前述のケリー、ドリューらの演奏と聴き比べてみればきっとおわかりになるかと思います。この「微細なひっかかりの感覚を帯びた重いタッチ」が「哀愁を帯びた旋律」を奏でるから、そこにクラークならではの心に染み入る境地が生み出されているのですね。

そして、こうした「細部」を正確に聴き取る「耳」がある日本のジャズ・ファンこそが、彼のパウエルやモンクに比べれば相対的に「地味」な魅力・聴きどころを「発見」したということなのです。

文/後藤雅洋
ごとう・まさひろ 1947年、東京生まれ。67年に東京・四谷にジャズ喫茶『いーぐる』を開店。店主として店に立ち続ける一方、ジャズ評論家として著作、講演など幅広く活動。

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