「ひとりの人との出会いが、私の人生を決めた」

高校2年生の時に古今亭志ん朝の高座に出会い、落語家になると決断。以来、後悔のない噺はなし家か 人生40余年。師匠の享年に近づき、陽気で華やかな芸により磨きがかかる。

 

_88A1996←ここんてい・しんすけ 昭和28年、東京都生まれ。中央大学附属高校在学中に古今亭志ん朝の落語を聴き、同47年に入門。二ツ目の時にNHKテレビ『おかあさんといっしょ』にレギュラー出演。真打昇進後もクラシック音楽の司会など、落語界以外でも活躍。

 

“センタクの時”は突然、訪れた。高校2年生のある日の放課後、古今亭志ん朝の『火焰太鼓』を初めて聴いた。落語通でも志ん朝ファンでもない。なのに引き込まれ、“この人の弟子になる”。あっという間のセンタクだった。
弟子入り志願のために日参すること1か月余り。入門を許されたのは昭和47年3月1日、高校卒業の春だった。前座見習いから前座を経て、二ツ目昇進。真打になり、「古今亭志ん輔」襲名は同60年9月。この間、迷いもなければ、後悔をしたこともない。
以降は陽気で華やかな芸風で高座を勤める他、『志ん輔の会』などの自主興行も開催。だが、“三大食わず嫌い”があった。歌舞伎、シェイクスピア、クラシックである。ところが、当時の中村勘九郎(故・十八代中村勘三郎)の歌舞伎を観て、食わず嫌いを返上。平成11年からはシェイクスピア落語を創作し、NHK-FM『名曲リサイタル』の司会も務めた。
順風と思われた矢先、転機が訪れる。師匠の志ん朝が63歳という若さで急逝したのだ。
「悲しみとは裏腹に、一瞬ですけど解放感があった。師匠への敬愛の深さの分だけ呪縛も大きい。その不遜な思いへの償いは、死んだ気になって稽古すること。それが追善と、“師匠ならどうする”と、会話し続ける10年でした」
より落語の世界に触れたいと義太夫、清元、新内などの稽古事に挑戦したのもこの頃からだ。
志ん朝の十三回忌は、一昨年。「この頃から、師匠に“もう追善はいいんじゃないの”といわれている気がします。やっと最近、落語の中に自分の柄を出してもいいのかなと思えるようになりました」
後進の育成にも力を注ぐ。昨年、東京・神田に開館した『神田連雀亭』は二ツ目専門の寄席。志ん輔師匠が奔走した結果だ。本人は「お膳立てはした、逃げるなよ」と突き放すが、その心根は優しい。

_88A0993.Q←『神田連雀亭』は席数38の二ツ目専門の寄席だが、特別企画でその高座に上がる、仕掛け人の志ん輔師匠。東京都千代田区神田須田町1-17 加藤ビル2階 ☎︎070・6565・8563

Unknown-3.Q←昭和60年9月、真打に昇進し、「古今亭志ん輔」を襲名。その披露で志ん朝師匠(写真左)と一緒に。入門から13年の年月が経っていた。

 

 

 

 

 

●師匠・古今亭志ん朝亡き後の覚悟やシェイクスピア落語のきっかけ、『神田連雀亭』の開演時刻・木戸銭などは「ワタシの、センタク。」のウェブサイトで公開中です。 

ワタシの、センタク。
http://towa-sentaku.jp/anohito/sarai/

提供/東和薬品

 

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